看護師が語る!看護師の楽しさとやりがいをもって働く方法

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看護師の仕事は大変です。忙しくて時間がなくても、治療には正確さが求められます。ある患者さんに不満や理不尽なことを言われて辛くても、プロとして感情をコントロールすることが求められます。夜勤で生活リズムが崩れても、どの勤務時間帯であれば同じ緊張感で働くことが求められます。また、看護師それぞれに、悩みを抱えて仕事をしている人もいるでしょう。

ですが、それでも看護師を続ける人は大勢います。それは、看護師の仕事に楽しさ、充実を見出しているからではないでしょうか?私は、看護師として病院やクリニックに勤務していました。家庭の事情で現在は退職していますが、それまで続けてこれたのは、明日も頑張ろうと思わせてくれるものがあったからです。 

今回は、個人的なエピソードを交えてを看護師としての楽しいと思える瞬間についてご紹介します。

一番はやっぱり「ありがとう」という言葉

まず、看護師という言葉でイメージされるものはなんでしょうか?もしかすると、白衣の天使を思い浮かべる人もいるかもしれません。実際のところ、看護師は日常の業務に追われるため、余裕をもって時間を過ごすことは滅多にありません。

職場によって、忙しさに違いはありますが、多くの職場では患者によりよい医療を提供するため、そして多くの業務をこなすために、忙しさは増していきます。このように、天使になる余裕なく、仕事をしている人は少なくないでしょう。ですが、看護師としての初心に戻してくれるもの、それが「ありがとう」という言葉です。

どんなに辛くても、どんなに感情がささくれてても、自分の看護に対して、「ありがとう」と言われると、魔法のように心に染み入ることがあります。 「ありがとう」という言葉は、何も特別な言葉ではありません。看護師の仕事だけでなく、他の仕事であれ、日常生活であれ、いろんな場面で耳にする言葉です。ですが、個人的には、看護師は特にこの言葉に弱いように感じられます。

なぜなら、看護師になる理由の多くは、人の役に立ちたいという思いがあるからです。

看護師になる理由には、経済的に早く自立したい、医療を学びたいなど、様々にあるでしょう。しかし、看護師の仕事は人と対面して、悩みや問題を解決できるよう、自分の知識と行動によって助ける仕事でもあります。人に対して何かをするわけですから、自分のしたことに対して感謝の気持ちを伝えられると、自分のしたことが人の役に立ったと、素直に感じることができます。これは、仕事をする上でのやりがいにも感じるひとも多いのではないでしょうか?

当たり前でないからこそ、嬉しい

そして、「ありがとう」という言葉に嬉しく感じられるのは、それだけの理由ではありません。なぜなら、どんな時も、看護師の仕事が感謝されるわけではないからです。というのは、患者さんによっては、看護師が患者さんのことを思って行ったことを誤解されていたり、または、誤解によって看護師がその人が望まないことをすることがあります。

たとえば、精神科では、治療そのものが必ずしも患者さん自身の希望に沿っているものではない場合があります。

自分を傷つけてしまう人がいれば、自分自身を傷つけないように保護したり、家族を傷つける人がいれば家族に矛先が向かないように治療をするため、必ずしもその人自身の意思が優先されるわけではないからです。そのため、時には、患者さんが医療者に対して大声を上げたり、治療を放棄しようとすることがあります。そういう状況では、その人のためを思ってしていることでも、患者さん自身には苦痛以外の何者でもない時があります。

今でも忘れられないのは、患者さんの悲しい顔です。患者さんやご家族のための治療とはいえ、本人の同意が得られていない状況で、望まない治療、処置をする時に見せる患者さんの顔は、今でも忘れられません。中には、怒鳴り散らしたり、病室のドアをドンドンと大きな音を立てて叩く人もいます。そういう方に対しては、冷静に対処するよう気持ちを引き締めていましたが、悲しみの顔だけは冷静を保つことが難しい自分がいました。

このように、感謝されることは当たり前ではないのです。しかし、当たり前でないからこそ、「ありがとう」という言葉をもらった時は、看護をしてよかったと心から思える瞬間になるのだと思います。ありきたりの言葉かもしれませんが、いつになっても、看護師の仕事を続ける気持ちを励ましてくれます。

チームとしてのつながり

そして、もう1つの楽しさは、チームワークです。看護師の仕事は、看護師ただ1人によって行われるわけではありません。病棟であれば、医師の診察に基づいて指示を受け処置を行います。そして、24時間体制で看護を行うために、チームで情報を共有し、統一したケアができるようにします。そのため、チームで協力し合って、患者さんの看護を行うため、チームワークがとても重要です。

チームワークと一口にいっても、誰とでも関係性を築き、問題なく協力し合える人はなかなかいないでしょう。人それぞれ、何かしらの悩みを抱えていたり、人間関係の難しさを感じている人もいるでしょう。悩みをもたらすものでもありますが、ありがたさを感じるものでもあります。

たとえば、看護師として経験が浅い場合、チームの中にいる先輩たちや同僚たちが、いろんな場面で助けてくれる時があります。経験したことがない処置があれば、実際に処置を受けている患者さんのもとへ連れていってくれたり、始めて行った処置の後でアドバイスをしてくれる時があります。チーム全体にみれば、チームの一員である自分の技術や知識が向上すれば、看護レベルを高めることができるため、チームのためともいえるでしょう。

ですが、自分のことを考え、親身に教えてもらうと、それが励みとなり、よりよい看護をしようと目指す人も少なくないでしょう。

チームは看護師だけではない 

看護チームは看護師から構成されますが、患者さんに対する医療は、何も看護師だけではありません。医師、看護師、臨床検査技師、作業療法士、理学療法士、ケースワーカーなど、様々な医療者から構成されています。普段の関わりはあまり多くはないかもしれませんが、カンファレンスを開いたり、申し送りの内容を共有したり、垣根を越えて協力しあって、医療は成り立っています。私の場合、病棟に勤務していた時、臨床心理士の面談にとても興味がありました。看護の場面では、あまりみえない患者さんの本音などが垣間見えるように思っていました。とはいっても、面談は臨床心理士の方と対面して、個室で行われるため、直接的に話を伺うことはありません。

それに、自分の興味本位で聞くことも医療ではないと思っていたため、臨床心理士の先生にも患者さん本人にも内容について聞くことはありませんでした。

ただ、少なくとも、面談でどういうふうな工夫をして、患者さんが話しやすい環境、雰囲気、関係つくりをされているのかは、自分が患者さんとの関係を築くうえでも役立つのではないかと思いました。でも、職場で堂々と相談、質問することにも気がしまい、なかなか話せずにいました。そんな時、病棟関係者を交えた忘年会のお知らせが舞い込んできたのです。

舞い込んできたとはいっても、忘年会や新年会は、病棟の中では恒例行事となっていて、医師も看護師も他スタッフもざっくばらんに話す機会にもなっていました。普段あまり話したことのないチームのスタッフと話す機会でもあります。

そして、私はこの機会を利用して、やっと臨床心理士の方と自分が今まで思っていた思いの丈を話すことができました。自分が心理学に興味があることや、本音で話せるような面談のような関係つくりを自分もつくりたいこと、面談の記録が患者を知る上でとても重要に感じられることなど、ただただ一方的に話していたかもしれません。

ですが、その方は、親切にもいろいろと聞いてくれて、おすすめの本などを教えてくれました。看護も奥深いですが、医療全体からすれば、他にも多くの専門スタッフが役割を担っています。看護という一部だけでなく、他の専門職の方と交える機会があるが、チームであることの1つの楽しみであると思います。

看護師としての成長 

このように、患者さんだけでなく、他医療者との関わりは辛いこともありましが、楽しいことが同じくらいあります。また、看護師には、人との関わりだけでなく、専門職としての楽しさもあります。それが、日々学んでいくことの楽しさです。

「学ぶ」」という言葉は堅苦しく感じるかもしれませんが、意識的に学ぼうとしなくても、職場はまさに学びの場です。1日たりとも同じ日はなく、1日たりとも何かを知り、何かを感じ、何かを学びます。

病状は刻一刻と変化し、昨日の状態が良くても、今日も状態がいいとは限らないのです。そして、病状だけでなく、毎日全く同じ気持ちで過ごす人もいないでしょう。患者さんだけでなく、医療者であっても、それは同じことがいえます。

新人看護師からみた先輩の姿 

そのため、看護を行う時は、必ず観察から始めます。そしt、その観察して状態を把握することで、その時のケアを臨機応変に変えていきます。臨機応変に対応すること、これが、私は看護師の成長といえるのではないかと思います。看護師になってまもない頃、私は、先輩に頼りっぱなしの存在でした。知識としては知っていても、実際の患者さん相手にどういうふうにすればよいのか分からず、緊張と焦りの中でいつも看護していました。

自分が思い描いている状態、なりゆきで、物事が進めばいいですが、生身の人間相手では杓子定規に物事が進むことは滅多にありません。予想外なことがいろいろと起こる中、私が右往左往しているのを見かねて、いつも先輩が助けにきてくれました。

助けてもらいながら感じたことは、先輩との経験値の差でした。患者さんがどんなことを言っても、穏やかに対応し、異変が起きたとしても、初期対応をして応援を呼ぶことができる先輩の姿に、いつも尊敬の念を抱いたものでした。

人に頼られる存在に

先輩に助けられながら数年が経ち、ようやくかろうじて1人分の仕事ができるようになったころ、後輩に教える役割を担うようになりました。自分にとっては、新人だった私が、人に教えることができるようになったことに驚きを隠せませんでした。

一方、人に頼られる存在になれたことが嬉しくもありました。私のはじめての後輩は、自分が新人だったころとは違って、堂々としていて、私よりもいろんなことを知っているような雰囲気を持った後輩でした。身長も私よりも高かったため、自分のほうが後輩に思える時もしばしばありました。でも、日々の業務における小さなコツ、たとえば、時間短縮するためのメモのとり方、申し送りの仕方など、役に立つであろうと思うことは、時間の許す限り、伝えていきました。後輩が、私のことをどう思っているか分からない部分もありましたが、後輩ができるだけ早く、業務に慣れることができればと思う一身でした。

もしかしたら、自分の「役に立ちたい」「頼られる存在になりたい」という気持ちがそんな行動を掻き立てていたのかもしれません。実際は、私は、日常の業務の中で、後輩に教えることによって自分のもつ知識を整理したり、自分自身の仕事を振り返るきっかけを作っていたのかもしれません。このことも、後輩をもつことによって、より自分を成長することにつながったと思います。

チームの中では、先輩もいれば後輩もいます。キャリアとは関係なく、年齢も様々です。先輩のほうが若い場合だってあります。そのため、年齢に関係なく、経験と知識が看護師としてのキャリアに最も関係しています。専門職であるため、専門性を磨いていくことが、看護師としての成長と考えられますが、人に頼られる存在になれるというのは、私が自分自身の成長を感じられた一番の瞬間でした。

人としての成長  

私は、看護師という仕事の中で、本当に多くの人と出会うことができました。看護師の仕事をしていなかったら、それほど多くの人と話す機会はなかっただろうと思います。看護師は、誰に対しても分け隔てなく看護を行います。老若男女、どんな人であってもそれは変わりません。自分自身は変わりませんが、いろんな人に対して看護を行い、看護技術を学び、いろんなノウハウをつくることができました。その点では、先ほどお話したとおり、看護師としての成長が感じられます。人との出会いは、自分自身を成長させる機会も与えてくれます。

全く違う人生を歩んできた人々、私よりもずっと年齢が上で、人生の先輩である人など、人間として見上げる人の出会いがたくさんありました。その中で、自分自身を考え方を見直してみたり、性格や人との関わりを見直したりしていました。

中には、看護師としての私ではなく、1人の個人としてアドバイスをもらう時もありました。それは、医療関係者だけでなく、自分が担当する患者さんからのアドバイスです。

看護実習での思い出

たとえば、ずっと昔になりますが、看護学生の時に担当していた患者さんからのアドバイスは、今でも覚えています。というのは、看護学生の実習では、患者さんただ1人を2週間つきっきりで対応するからです。患者さんにとっては、1日中、看護学生がそばにいることで、疲労感を感じる人もいたかもしれません。ですが、当時の私は、幸運なことに、とてもおしゃべり好きな60代の男性を担当することになり、1日中おしゃべりしていたことを覚えています。

その患者さんとは、談話室で一緒にニュースを見たり、本棚に置かれている本について話したり、いろんなことを話しました。その中で、ある本を紹介されました。その本を紹介する理由は、「あなたは読んでおいたほうがいい」というだけでは、本の内容については、あまり話されませんでした。私は、その時、紹介してくれたお礼と必ず読むことを伝えました。

実習期間中は読めないまま、その患者さんとは感想を伝えられないまま分かれてしまいましが、実習が終ってひと段落してから読み始めてみると、教訓的なことがたくさん書いてあることに気づきました。そして、読み進めるにつれて、私の性格に必要な教訓のように思えてきたのです。まるで、患者さんが私の性格をずばり当てていて、自分に欠けていることを伝えてくれているような気持ちになりました。

これは、あくまで私の個人的な思い出で、看護師というよりも一看護学生の体験になりますが、患者と看護師の関係を物語っているように思います。というのは、自分自身のことは、自分自身以上に、周りの人がよくみているからです。自分の特徴や傾向など、見知らぬうちに患者さんは汲み取っているとも思います。だからこそ、患者さんとの出会いは、自分を知るきっかけを与えてくれます。

人との別れが嬉しさにもなる 

人との出会いと同様、人との別れも同じ数だけあります。一般的にいえば、別れは悲しいものですが、医療のなかでは、それは良い意味に捉えることができます。なぜなら、患者さんは、何らかの健康上の問題を抱え、医療機関に訪れますが、その問題が解決すれば、医療の役目は果たされたことになるからです。

そのため、自分が担当していた患者さんの状態がよくなり、退院したり、治療が終了した時は、患者さんと一緒に喜びが感じられます。入院している人であれば、再び社会復帰ができたり、学生であれば、勉強を再開できます。医療機関の手を離れることは、人との別れも意味しますが、患者さんにとっては新たな門出です。悲しいというよりも、新たな出発を待ち遠しく、楽しみにしている患者さんの姿をみるのは、何よりも喜ばしく感じられます。患者さんの中では、退院したら、治療がおわったらこんなことをしてみたいと、晴れやかな顔で話してくれる人がいます。

看護師としては、退院後や治療後も体調管理に気をつけてもらえるよう説明したり、確認することが1つの仕事ですが、このような患者さんの姿は、医療の力をしみじみ感じさせてくれます。これができることが、看護のよさだと思います。つまり、患者さんの姿をより身近に感じ、患者さんと直接向き合い、話すことができるのが看護師ではないでしょうか?

直接的に身体的なケアをしたり、日常的に話す立場であったり、看護だから、患者さんの日頃の変化を汲み取れると思います。そんな日常的な変化を絶えずみてきたからこそ、晴れて治療を終えたり、退院される患者さんを見送る瞬間は、とても嬉しく感じます。また、看護師としてやりがい、看護師でよかったと思う瞬間でもあります。

まとめ 

以上、個人的な体験を交えて、看護師としての楽しいと思える瞬間についてご紹介させて頂きました。看護師は辛い時、大変な時もありますが、そればかりではありません。それと同じくらい、もしかしたらそれ以上に、楽しさを感じる場面、やりがいを感じる場面があるかもしれません。どんな状況であっても、考え方や見方を変えることで前向きに捉えて、辛さを楽しさに変えることだってできるでしょう。どんな仕事であれ、仕事への向き合い方1つで、楽しさも変わってくるでしょう。看護師として仕事をしている人にも、看護師という道を考えている人にとっても、看護師としての楽しさを見出せるよ少しでもお役に立てれば幸いです。

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