新人看護師の目標と医療現場の厳しい現状を現役看護師が語る

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看護師のイメージと言えば、“白衣の天使。優しくて、いつも笑顔。”そんなところでしょうか。私も昔は、看護師にそんなイメージを持っていた一人です。現在は、28歳で外科病棟勤務の7年目の看護師になります。看護師になった理由は、自分が幼少の頃、病弱で入退院を繰り返していたこともあり、その時に優しくケアしてくれた看護さんたちに憧れを抱いた記憶があります。

両親やお友達と一番過ごしたい時期に、入院して治療を受けなくてはならない環境に寂しさを覚えました。そんな時に、看護師さんたちが優しく接してくれたことでとても救われたことを覚えています。また、自分の母も看護師であったことや、親せきにも看護師が多かったことで、看護師という存在が身近に感じられる環境で育ち、バリバリ働くその姿に幼いながらも看護師は格好いい仕事という印象が根付き、その影響は大きかったと思います。

私は2人姉妹の長女で、昔から面倒見みがいいね・優しいねと周りに言われてきました。また、それが自分の中で誇りでもありました。“自分は世話好きで、いつしか病める人を少しでも癒したい。”そんな思いを抱き看護師になりたいと思うようになりました。このように、看護師というイメージに憧れ、夢を抱き医療の世界に飛び込んでくる新人看護師さんは多いのではないでしょうか。

もしくは、例えば自分が病院にかかった時にその看護師の姿に憧れた、家族が入院しその時の対応に感心したなどを理由に看護師になることを志望する方も多いのではないでしょか。さらに最近では、とりあえず安定した職業だから、高収入だからなどという理由で看護師を志望する方も正直多いでしょう。

しかし、現実はどうでしょうか。医療の現場は残念ながら、そのようなイメージ通りではありません。少なからず、私は医療の現場に飛び込んで180度、看護師に対するイメージが変わりました。看護師という職業を大変誤解しており、新人の頃はそのギャップと自身の適応の難しさに苦しんだ記憶があります。ここでは、現代の医療現場の現状と新人看護師が成長するうえでの苦労や課題を記載したいと思います。

現在の医療現場の現状

“看護師不足”はここ数年言われ続けている、医療界における致命的な問題です。最近ではよくメディアでも取り上げられている、過労による離職。私も、痛いほど離職したくなる理由が理解できます。本当に過労なのです。私の勤めている病棟では、急性期患者も慢性期患者もおり、5~6科が混在する混合病棟です。患者55人程度に対し、看護師が5~6人で日勤を構成しています。夜勤だとそれが3人です。

それなので、日勤では一人の看護師が患者10~13人程度を受け持ちながら、1日5件以上の入退院と手術出し、化学療法、検査介助など何でも行っています。私事ですが、現在妊娠9ヶ月の今も、月50時間以上の残業を強いられます。

多少つわりがあったり、お腹が張っていたりしても関係ありません。仕事が終わらず、日勤終了後に病院を一旦抜けて、子どもを保育所に迎えに行き、詰所で子どもを待たせながら残業するスタッフもいました。しかし、それでも誰も休めないのです。看護師が一人でも休むと、他のスタッフの負担が増えすぎて手厚い看護ができず、結局患者に迷惑がかかる・最悪の場合、誰か患者を一人くらい殺してしまうのではないかという恐怖感にまでかられます。

高齢化で患者が増える一方で、反比例するように看護師が過労で離職する、負のループを延々とたどり、みんなぎりぎりで働いています。いやらしい話かもしれませんが、看護師は多忙な割に、技術の割に、労働の割に、キャリアの割に、同じ医療者である医師などの高収入者に比べ、あまりにも差があります。高収入なイメージの看護師かもしれませんが、全くそんなことはないと思います。

もちろん病院やキャリアにもよることは前提ですが、当院でいえば看護師と医師の給料の差は月3~5倍程度の様です。医療界に置いては医師・看護師に限らず、事務職から技術者まで様々な職種がありますが、下手をすると看護師のお給料は労働の割に低い方にあります。医師は病院から大変大事にされています。給料の面だけでなく、休暇や異動についてもです。病棟がどんなに忙しくても、医師同士で調整をして私用のため一日づつ休暇をとったりしています。

ある程度融通を利かせないと、医師は確かに少ないので辞められては診察もできないし何も始まりませんもんね。それを当たり前とすら思っている医師もいます。

一方で、看護師は一人も休めません。先ほども言いましたが、妊娠してつわりがあったりお腹が張っていてもても、小さな子供が熱を出しても、自分の体調が悪くても簡単には休めないような状況です。看護師は人が少なくなって自分たちが困るだけだから辞めたければ辞めればいい、家庭の事情があっても平気で異動を強いられる、そんな扱いです。

医師は大変勉強しているでしょうし、人の命を預かる莫大な責任があります。検査や手術をする医師では長時間緊張感に強いられ、体力勝負な部分もありますし、急な呼び出しで心休まらないことがあることも私たちはよく分かっています。でも、看護師だって同じなのです。1日10数名の患者の命を同時に預かっています。一人ひとりのちょっとした変化も見逃せません。患者の変化を見逃すと手遅れになる場合があるからです。看護師の腕の見せどころといいますか、観察力が非常に問われ、それは昼と夜でも患者の状態は変わってくるし、ずっと看て来たからこそ気づく部分もあります。医師は何でも看護師に聞いてきます。

患者の状態がどうか、ご飯は食べたのか、便は出ているのかなど細かいことを何でも。正直、看護記録を見ればわかるのです。そのために何時間も看護記録に時間を費やしているのですから。挙句の果て、看護師からの情報や看護師に指摘された指示だけ出してさっさと看護師よりも数時間先に帰宅する医師もいます。看護ケアの実施においても絶対に間違うことはできません。投薬だけではありません。食事の介助・移動・移送の介助・患者が寝ている環境を整えるだけでも、専門的な知識や経験を駆使して行わなければ、容易に患者を危険にさらしてしまうのです。自分の担当の患者以外でも、一度制服を着ればフロア全体の50数名の患者の命や安全を守る責任があります。すべての患者の顔や名前や疾患の把握は当たり前。

いっぺんにすべて把握することは難しいので、多忙な中でもスタッフ間でコミュニケーションを円滑にとり、把握しなくてはなりません。人間関係が良好でないといけないし、そのために個人の人間性やコミュニケーション能力も非常に問われます。そんな緊張感や責任に休日以外は十数時間・毎日拘束されます。いえ、下手をすると休み時間や休日でも仕事のことが頭から離れない看護師も多いです。

特に新人の頃は、家に帰っても今日の行ったケアは大丈夫だったかな、誰かに迷惑かけなかったかな、何かミスしていなかったかななどといった思いがずっと頭をめぐるのです。看護師だって体力がないと勤まらないし、医療は日々進化するので勉強だってし続けないと、患者により良いケアを提供できないのです。コミュニケーションが円滑にとれない医師も多いのが現状です。

医療の世界では基本である報告・連絡・相談が医師の中には不足している方も多いです。治療にばかり目が向き、患者・家族が見えていないのです。看護師を当てにし、患者のベッドサイドへ行き十分に話を聴く姿勢が不足しているため、患者にあった指示が出せません。それを看護師は自分の経験や患者に対する思いやりを駆使して指示の修正を求めます。

例えば、せっかく内服ができる患者でも注射での指示を出す=点滴を行うことで患者の日常生活動作への障害を生みます。術後、離床が必要な患者にも平気でそんな指示を出し、歩け歩けと言うのです。私たちからすれば、患者のためを思うと内服のほうがいいのではないか、そんな疑問をいちいち医師に相談しなければ変更しもらえないのです。

普段から積極的に患者や家族、看護師と円滑にコミュニケーションをとっていれば、そんなに効率の悪い指示にはならないのです。指示の変更により薬剤師などの他職種の方々も大変です。そんな効率の悪い仕事が病院全体で何百人の患者にも行われているのだと考えると目が回りそうな思いになります。また、病院のシステムや物品の位置、最悪では今日の日時まで看護師に問う始末。私たちも医師がいなければ医療行為は行えませんが、同じように医師も私たち看護師がいなくては何もできないのです。

新人看護師の現状

一方で、そんな猫の手も借りたい状況の中でも毎年春には新人看護師が入ってきます。私の病院では専属の看護学校を設けているため、よっぽどのことがない限り、各病棟には毎年2~3人程度の新人看護師が配属されます。一見、人手が増えて嬉しいように思えますが、実はさらに人出不足の負のループに拍車がかかるのです。一般的に、総合病院などではプリセプター制度というものを取り入れている病院が多いかと思います。

私の病院もその一つで、プリセプター制度とは、基本的には新人看護師一人に対して先輩看護師一人がマンツーマンで数ヶ月びっちりと指導することです。病院によって異なるとは思いますが、私の病院ではプリセプターは、4~5年目の看護師が適齢とされています。皆、その頃にはだいたい自分が適齢期だと自覚し、プリセプター研修を受けたり自主学習したりし、指導者になる準備しています。するとどうでしょうか、新人教育に人がまた一人・二人と取られてしまい、他スタッフ一人ひとりの負担が増えるのです。私の病棟では、4~5年目ともなると、もうほとんど中堅の域となります。

4~5年目のスタッフはとても動けるし、仕事に積極的で忙しい病棟にはかなりの主動力となっています。それなのにそんなスタッフも新人指導にまわされ、病棟的にはかなりの痛手です。人の命を預かる仕事ですから、指導する方もかなり緊張しながら指導します。ただ教えただけでは済まず、新人看護師の知識の確認や理解度の確認を常に行い、技術の向上も手助けしながら毎日指導にはげみます。勤務が忙しい中、人に教える責任を抱えるので、ない時間を裂きなが指導者側も新しい知識の習得や知識の再確認のため復習を繰り返しています。

もちろん、新人看護師も緊張しているでしょうが、自分もプリセプターだったときは緊張やプレッシャーで疲れ果て毎日帰宅していた記憶があります。しかし、指導しないわけにもいかないのです。新人看護師を育てないと、さらにどんどん人不足を招きます。

そしてやはり、せっかく夢をもってやってきた新人さん達なので、立派な看護師に成長してほしいと自分の経験や知識を駆使して教育に励もうと本当はみんな思っているのです。私は個人的には、今の時代に人のお世話をしたいなんて思う若者がいること自体幸せなことだと思っています。自分もまだまだ若者の域にいるのかもしれませんが、こんな便利な時代でもっと他に仕事はあるはずです。自分の手と頭を使って誰かをケアしたいと思う人たちは、責任感や使命感の強い人達で何より温かい心の持ち主なのではないかと思います。これから高齢者がまだまだ増え、少子化で看護する人たちがどんどん減っていき、医療の現場がますます厳しくなることは目に見えています。そんな中で看護の仕事をあえて選ぶこと自体、戦場に挑むようなもので大変度胸のあることとさえ思います。

そんな戦場のような現場の中でも、せっかく希望をもって医療の世界に飛び込んできた貴重な看護師の卵を、現実では挫折させてしまわないよう丁寧に育て上げなくてはいけないのです。そんな新人看護師さん達と言えば、当院ではストレート(高校卒業から看護学校卒業まで浪人・留年のない人)で21歳~22歳頃の男女です。もちろん社会経験を得てから看護師となり、私なんかよりも年上という場合もありますが、一般的にそれくらいの子たちが多いです。

最近では外国人ナースやナースマンも増えています。今考えれば、自分たちが新人の頃もきっと言われていたのでしょうが、「最近の若い子は。」という言葉をすでに発しそうになっている自分がいます。まずは、自分がプリセプターだった年は、自分が教える子はどんな子かなと不安と期待でいっぱいでしたが、初対面でこちらの方が撃沈。明るい髪色に髪飾りをし、化粧はばっちりといった感じの子でした。

まさかそこからの指導かと私の頭を悩ませました。自分の時では考えられなかったからです。私は新人の頃は少し消極的なところがあり、むしろそれが課題でした。身だしなみで注意されたことなど一度もなくさらに言えば、なるべく目立たないように古い言葉で言えば先輩に目をつけられないようになどという思いの方が強かったです。休憩中も、休憩室では緊張感で肩身が狭く息もできないくらいお弁当を食べるのも苦しかった。せっかく先輩が話しかけてくれてもうまく話せなかった記憶があります。しかし、私の指導していた子は緊張しているとは言うものの、初日から普通に周囲とおしゃべりしていました。新人の歓迎会でも酔っ払い、お酌どころではなく、私服も派手そのもの。

すべて言ってあげなければ気づかないのです。いくらプライベートは自由と言っても、職場の宴会でそれはないのではと、そんな風に何故か気を使いながら指摘した記憶があります。患者に対しての接遇にも疑問点はありました。自分が新人の時は、今考えると可笑しいのですが、敬語に敬語を重ねて逆におかしな日本語になるくらい緊張して接していまいした。しかし、その新人さんと言ったら普通に友達のように話すのです。

患者さんは友達ではないということを指導しても、自分のおじいちゃんやおばあちゃんのように思えてそういった口調になってしまうという始末です。そうしているうちに、私の方もその子の悪い部分ばかりが目についてしまい、指導や口調にとげが出てきます。新人さん本人もふてくされるような態度を見せることもありました。そんな感じで、マナーがままならないまま、なんとなく仕事だけは覚えて何となく成長した新人もいます。他の看護師に相談しても、まぁ時間をかけて見守るしかないねといった反応で、直接注意してくれる人は少なかったように思います。

そして何より自分が悪者になりたくないから・面倒くさいから・自分の役目ではないから・とりあえず仕事ができるようになればいいからといった理由で、あまり指導に力を入れるスタッフは少なかったと思います。私の頃は、ちょっとでも先輩が気になることがあればその場で注意されていたし、呼び出され面談など受けていました。今ではあまりうるさく言うと辞めてしまうのではないか、つぶれてしまうのではないかといった不安もあるのは確かです。

かといって指導しないとその子のためにならない、未熟な看護師になってしまうといった難しさもあります。看護師不足で少しでも人が欲しいのが現状ですが、誰でも・どんな子でもいいわけでもないのです。ですから、看護学校入学の時点でも、全国的にできるだけ看護師という人材は確保したいが、学力でも人間性でも入学のハードルを下げるわけにはいかないのだと思います。

また、最近の新人さんではグループワークの際に「自分がうまく仕事ができないのは病棟が忙しいからだ。」と発言した子や、「いつまでこんな人数で病棟を回すんですか。」などと上司に発言した子もいました。

新人のうちからこんな発想になるのはとても残念に思えます。自分の時は、病棟がどのくらい忙しかったのかもわからないくらいとにかく自分の能力が未熟で適応するだけで必死でした。いままで生きて来たアイデンティティは簡単に崩され、もっと色々なことを経験し学ばなければいけないと感じていました。自分が看護師になってすぐに“白衣の天使”なんて甘いイメージや憧れはとうに忘れてしまっていました。病棟は血まみれの戦場で、先輩に叱られ涙を流したあとでも仮面をかぶるように患者の前では笑顔を見せていました。患者が亡くなって悲しんだ後でも、見送ればすぐに気持ちを切り替えて違う患者の待つ病室に行きます。

そうしなければ仕事としてやっていけないのです。そんな忙しさの中でも、忙しさを理由に自分の能力が発揮できていないと感じることはありませんでした。忙しさの中でも色々なことを感じ、体験し成長させてもらったと今では思っています。やはり、新人の時点で忙しさを理由に頑張れないというのは私たちが口癖のように忙しい、忙しいと言っているからなのでしょうか。病院のシステムの問題なのか、世の中全体の責任なのでしょうか。非常に悔しい思いでいっぱいです。

まとめ

今まで記載したことは、全国的に見てたった一部の話・大変個人的な意見ではあったと思いますが、実際に起こっている看護師界の厳しい現状を長々と申し上げさせていただきました。ただひとつ願えることは、もっと看護師という人材が充実し、ゆとりをもって新人看護師を育成できる現場が増えるといいなと思うことです。看護師不足による多忙のせいで、未来ある新人看護師の希望を無駄にしたくない、そんな風に思います。新人看護師でなくても心が折れそうになることは時々あります。もっとゆとりをもって働けたら、もっと患者さんの話をゆっくり聴いてあげられたらと日々思っています。

「看護婦さんて偉いね。自分も大変なのに人のお世話ができるなんて。」「こんなに遅くまで残って仕事して感心するね。」「自分が入院して初めて看護婦さんのありがたみがわかったよ。すごく大変な仕事なんだね。」などと声をかけてくれる患者さんもいます。私たちの忙しさが患者さん伝わって、気を使わせている一言でもあります。そんな風に本当は思わせたくないと思っています。心が折れそうな中でも、患者さんの一言で救われる・気づかされることもあります。「

看護婦さんたちのおかげで救われた。ここまで元気になれました。」と。こんな言葉が聞きたくて毎日私たちは頑張っているのかなと思います。初心に返れば、そんな患者さんのそんな思いが聞きたくて看護師になったのではないかと。もしかすると、この仕事はほとんどが辛いことや理不尽なことばかりで、良かったと思える事なんてたった一握りしかないのかもしれません。

しかし、こんな世の中でも、自分も含め看護師の仕事に希望をもってやってきた新人看護師さんたちが、どうか希望を持ち続けたまま看護師という仕事を続けていけるそんな時代が来ることを心から願っています。

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