【実体験】看護師の私が体験した過酷な労働環境と辛いこと

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白衣の天使に憧れて、看護学校に入学。つらい実習を乗り越えて国家試験に合格し、やっとの思いでなった看護師。でも晴れて白衣の天使になり、意気揚々と乗り込んだ現場は、地獄のような戦場だった。そんな理想と現実のギャップに悩んだ方もいらっしゃるのではないでしょうか。ストレスが大きい職業の種類の一つに、「人の命を預かる職業」という項目があります。また、「責任が重く、ミスが許されない職業」という項目もありました。

ストレスの多い職業ランキング10位以内に入っていないとはいえ、看護師はストレスの大きい職業に当てはまっていると言えます。昨今、ネット上にはたくさんの「看護師お悩み相談室」といったサイトが設けられるようになりました。たくさんの書き込みがされていることを考えると、理想と現実のギャップにつらい思いをしている、悩んでいる、ストレスを抱えているといった看護師がたくさんいるということがわかります。今まさにつらい思いを抱えながら、誰にも相談できないで悩んでいる、そんな方もいらっしゃるかもしれません。今回は、私が経験した看護師としてつらかったことを、いろんな角度から書いてみたいと思います。

プライベート時間、売ります! 

まず、1つ目のつらい話は、私が新人看護師だった頃、病棟看護師をしていた時の話です。当時の病棟勤務と言えばまだ、3交代制が主流の時代でした。2交代制をとっている病院もちらほらありましたが、私が勤めていた病院はまだ3交代制でした。働き始めた最初の頃は日勤のみで、生活は規則的でした。朝から出勤、夕方には帰宅、夜はフリー。仕事帰りに同僚と食事に行ったり、飲みに行ったりすることができました。

当時、私には他府県に住む彼氏がいました。週末にはその彼氏に会いに行くこともできていましたし、日曜日にはデートをすることもできました。何ら一般企業に勤めるOLと変わりない生活を送ることができていたので、一般企業に勤める友人とも遊ぶことができていました。人生初の看護師ライフは、そんな感じで何事もなく送ることができていましたが、仕事に慣れてきた頃、日曜出勤というものが入ってくるようになりました。日曜の休みがなくなるということは、一般企業に勤める友人と遊ぶ時間がなくなるということです。もちろん、彼氏とも会う時間がありません。それでも、仕事だしこれが当たり前なのだろうと思い、日曜出勤をしていました。少しずつ、プライベートが変化してきているということを、その時はまだ感じていませんでした。

そうこうしているうちに、準夜勤が入ってくるようになりました。週1回程度の準夜勤で、次の日はお休みでしたが、準夜勤の日は深夜まで仕事。午後からの勤務ですからほとんど午前中は何もできません。仕事が終わって帰ってからも、深夜ということもあって真っ暗。次の日が休みでも、お店も開いていませんから遊ぶ所がありません。結局、家に帰ってテレビを見て時間をつぶす、そんな寂しい準夜勤終わりを過ごしていました。シフト勤務に変わってからというもの、同僚とも遊ぶタイミングが合わなくなっていきました。彼氏とも、日曜が休みとは限らないのでなかなか時間を取って遊ぶことができなくなりました。

さらに深夜勤務が始まると、今度は日勤深夜という過酷な状況になりました。日中仕事、帰って仮眠。夜中に家を出て、朝まで仕事。日勤深夜の勤務では、日勤をしている日付と深夜をしている日付が別の日になるので、労働上問題がない。その話を聞いた私は、「誰がこんな過酷な勤務を考えたんだ!」と思いました。深夜明けで帰った日は、前日からの疲れが取れていないせいか、疲れが増しているので、ほとんど何もすることができません。ただ、寝るだけ。ただただ、寝るだけ。そうして夕方になる。

友人と夕方から遊びに行っても、すぐ夜になってしまいますから、ほとんど遊ぶことができません。運よく週末に明けが入っていれば、そのまま遊んで日曜も休み。ということもありましたが、本当に希少。手をたたいて喜ぶくらいの希少さでした。そんな生活をしていると、どんどん友人と遊ぶ時間が無くなりました。一般企業に勤める友人などは、土日が休みですからイベントや行楽に出かけます。お誘いの連絡が入りますが、私は仕事。それを繰り返すうち、だんだんとお誘いの連絡が減っていきます。そうして、友人とはどんどん距離ができていきました。もちろん、彼氏とも遊ぶ時間が無くなり、結局すれ違いが原因で別れてしまう結果になってしまいました。私が勤めていた病棟には、既婚者が土日に休みを取って、独身者が土日に仕事をするといった、なんともありがたくない慣例が存在していました。

「どうして既婚者の特権?何で?私にだって予定はあるのに」そう思っていましたが、1年目の私は先輩看護師達の目が厳しかったこともあって、希望休を取ることもできず、シフトに従うしかありませんでした。看護師になって1年を過ぎる頃には、貴重な休みだというのに、独りで買い物に行く、独りでランチする、独りでドライブする、などといった「おひとり様ライフ」を送ることになってしまっていました。その時に、思いました。看護師はお給料こそいいけれど、自分のプライベートをどんどんズタズタにしていくものなのだなぁ、と。お金があっても、時間がない。時間があっても遊び相手がいない。そんなつらい看護師ライフが嫌になり、3年でその職場を辞めました。それ以来、私は3交代での勤務に入ることを選ばなくなりました。

スパルタはお好き?

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次にお話しするつらい話は、私が訪問看護ステーションにパートで勤めていた時の話です。その訪問看護ステーションは、当時所長1名、常勤1名、パート3名の5名体制でした。訪問看護では、基本的に1名で患者さんのお宅に訪問し、ケアを提供することになっています。訪問介護には医療保険による訪問、介護保険による訪問と2種類の訪問があります。医療保険による訪問では、ターミナル期にある患者さんへの訪問、毎日処置が必要な方への訪問があります。介護保険での訪問では、週1回から回数は様々。保険点数内でケアマネージャーさんがスケジュールを組んでいきます。内容は、生活援助的なことから医療的なことまで様々です。

訪問看護ステーションに勤めた初日、私は常勤看護師のAさんと一緒に訪問に回ることになりました。私は、どんな方の所に何をしに行くのか全く分かりませんでしたから、カルテを見ようと思いました。しかし、カルテを見る時間がありませんでした。事務所に出勤して、間もなく出発するというのです。どんな患者さんへの訪問なのか、何をしに行くのか全く分かりません。車の中で、訪問する患者さんは糖尿病などの情報は話してくれましたが、何歳くらいなのかどんな人なのか、家の状況はどうなっているのかなどといったことは全く分かりませんでした。そして初の訪問。独居の高齢の女性の方のお宅です。ベッドに入っているその方を起こすところから、訪問は始まりました。朝食準備や服薬準備、更衣などを30分で行うというのです。

目まぐるしく動くAさんを見ながら、「いずれは独りで訪問に行くことになるし、Aさんがやっていることはしっかりとメモしておかないと!」と思い私は、Aさんが提供しているケアの手順をメモに書きました。説明されたことも、とりあえずメモに残していきました。Aさんは、ギリギリ30分でその訪問を終了させました。その間の会話といえば、「調子どう?」「朝ごはんは?」など少数です。訪問看護ってこれでいいのだろうか、少し疑問に思いました。その日の帰宅後、私はそのメモを整理しました。

ノートにもう一度書き写し、見てみるととんでもなない項目の量。私はこれを独りで30分以内に終わらせるのかと愕然としました。そして、疑問に思ったことやわからなかったところは、次の訪問の時に確認しようと思っていました。出勤3日目。初日に訪問したお宅への訪問がスケジュールに入っていました。私は、2回目もAさんが一緒に回ってくれるものだろうと思っていましたが、違いました。1人訪問のスケジュールになっていたのです。驚きました。いきなり1人で訪問です。患者さんの数が多く、1日の訪問件数も多いので一緒に回る余裕がないということでした。回れないほど患者さんを抱えるステーションてどうなんだろう、また疑問に思いました。訪問に出発する時間になり、いざ訪問。

しかし私は、お宅までの道のりさえ曖昧。車を運転しながら、「たしか、この辺を曲がって・・・」といった感じで、何とか訪問先に辿り着きました。そして、30分の時間勝負訪問開始。私はノートを見ながら、ケアを順番に行っていきました。合っているのか、間違っているのか頼りになるのはノートだけ。でも、ノートを見る時間が惜しいくらい、どんどん時間は迫ってきます。焦る気持ちを抑えつつ、仕事を正確にこなさなければなりません。初めての独りでの訪問とはいえ、こちらが不安げにして患者さんに不信感を与えてはいけません。チラチラと時計を見ながら、何とかやりきらねばと思い、何度も何度もノートを見ながら、ケアを順番に行っていき訪問中を過ごしました。やっとケア終了。終わってみれば、5分オーバーでした。

このケアを30分以内に終わらせるなんて無理!と私は実際に入ってみて感じました。

そうして事務所に戻りましたが、戻った時には「お疲れ様~」の一言だけ。シレっとしたその言葉に救われるなんてことはありません。これが訪問看護なのかとちょっと恐ろしくなりました。その後も、新しい訪問は2人で訪問となりましたが、2回目以降は1人訪問となっていました。できる、できないに関わらずきちんと教育するべきなんじゃないのかな、とさらに疑問に思いました。あまりにもスパルタな訪問看護に、私はかなり精神的に疲れました。

時間との勝負!

前述の訪問看護ステーションでのつらい話はまだあります。次のお話も、その訪問看護ステーションでの話です。訪問看護では、介護保険の訪問の場合、生活援助的なケアが入っていることが多々あります。

例えば、入浴介助、調理支援、食事介助、更衣、環境整備という名の掃除などです。

ルーティンのメニューに入っていなくても、患者さんの状況に応じて対応しなければならないので、そういった生活援助を行わなければならない状況が突発的に発生します。でも、いつもと違うことが加わってくると、とんでもなく困るのです。なぜなら、このステーションではとてもタイトに時間を組んでいたからです。訪問看護では、基本的に法律で定められた最低時間というものがあります。医療保険の訪問では40分以上、介護保険の60分訪問では45分以上、30分訪問では25分以上といった感じです。

このステーションでは、その最低時間で終了して次の訪問に行くというスケジュールの組み方をしていたのです。ですから、訪問中に行うルーティンのケアの所要時間は、本当に必要最低限の時間で組み込まれていました。しかも、ルーティンのケアだけで訪問時間ギリギリということがよくありましたから、突発的なケアが入ると、時間が足りなくなるのです。突発的なケアが発生した時には、次の訪問時間に間に合うように車を飛ばして移動しなければなりませんでした。

もう、「殉職しても仕方ない」という勢いです。制限速度を守って走っていては間に合わない、そんなこともありました。よく警察のお世話にならずに済んだなぁと思うくらいです。訪問先の患者さんは「看護婦さん、テキパキとよく動くねぇ」と、言ってくれました。しかし、内心では「これくらい動かないと時間内に終わらないの!」と思っていました。訪問時間を超過すると移動時間が短くなります。それでも、移動時間は確保しなければなりません。すると、次以降の訪問がどんどん遅れていきます。遅れていけば、待っている患者さんに迷惑をかけることになります。「遅かったね」と、言われることもあります。他の患者さんの所で時間が長引いてなどといった理由は、待たせてしまった患者さんには関係のない話ですから、そんな時はとても申し訳ない気持ちになりました。

ただ、「こなす」。ルーティンのケアをただ、こなしていました。もう、看護師とは言えなかったと思います。看護師免許を持っているただの人。看護師の観察なんて、できるほどの時間の余裕がありません。ゆっくり腰を据えて話をするなんて時間も持てません。本当に、ただただこなすだけの訪問でした。私は、突発的なケアや処置が起こらないよう、常に祈っていました。入職者へのスパルタ、タイトな時間で業務的な訪問、そんなことが積もっていき、私はこのステーションを辞めました。このステーションのやり方が自分に合っていなかったのか、そもそも間違っているのかはわかりません。ただ、私は入職者への教育や申し送りをしっかりしないと、継続した看護につながらないのではないかと思うのです。

1人でお宅に訪問して看護を行うということは、その訪問した1人の看護師がどんな看護を行うかが重要になると思うのです。統一した看護を行うことで継続した看護につながると、私は思います。そして、一番つらいと感じた時間の勝負。見なければならないことがどんどん見えなくなっていくような気がしました。いくら看護の目を持っていたとしても、余裕がなければ見えません。そして、患者さんとの会話にも心がこもらなくなっていきます。そんな看護師に誰がお世話になりたいと思うでしょう。もし、また訪問看護ステーションで働くときには、こんなスパルタでタイトなスケジュールを組むようなところには就職したくないと思います。

一生懸命が仇になる

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最後にお話しするのは、私が小規模多機能型ホームに勤めていた時の話です。小規模多機能型ホームとは、在宅からの通いを中心として泊まり利用をすることもできるという、新しい形の高齢者介護施設、というのが国の指針です。しかし、実際には高齢者住宅と老人ホームの中間といったイメージが強い印象です。住所こそ施設に移していないものの、ほとんどの人が「泊まり」利用で生活をそこでしているといった感じです。私が勤めていた施設には、私が就職するまで常勤看護師がいませんでした。その施設はできて間もない施設で、ゆったりとした雰囲気。とてもアットホームなところでした。常勤看護師1名の職場ということもあり、ほとんどを自分が決めてやっていくという感じでした。

マニュアルなどは揃っていませんでしたし、利用者さんのカルテなどもありませんでした。そこで私は、一つ一つの行為にマニュアルを作り、カルテを作り医療的な面を整えていきました。そんな毎日は充実していました。利用者数が少なかったこともあり、利用者さんとの時間をたくさん取ることができました。そうこうしていると、とある男性が老衰でターミナルにさしかかりました。高齢で、身体機能が低下しており誤嚥の危険があるその方に、食事介助ができる介護士は残念ながらいませんでした。誤嚥の危険があるのだから私たちには無理ですと、あっさりと手を引いてしまったのです。そうして、私が食事介助をすることになりました。朝食、昼食、夕食3食の食事介助が始まりました。私が就職の際、契約で決めていた休みは土曜と日曜。

しかし、その方の食事に休みはありません。そうです。無休で食事介助をすることになってしまったのです。寝たきり状態のその方への食事介助は時間がかかりました。それでも、その方に食事を摂っていただくため、私は毎食食事介助をしました。栄養状態が悪くなっていき、点滴をする回数が増えていきました。看護師の訪室回数が増えたせいか、介護士の訪室回数はどんどん減っていきました。介護士の訪室回数が減る中、私はその方の清拭や更衣、おむつ交換などもするようになっていきました。

最終的には、私が1人で介護をしているような状態になりました。そんなことが続いた数週間後、その方は亡くなられました。その数日後、私は施設のオーナーから呼び出されました。「介護士を頼らなかったのはなぜですか」耳を疑う言葉を投げかけられました。介護士を頼らなかったのはなぜか、独りで介護をするような形をとったのはなぜかということを、オーナーから尋ねられました。私は「介護士を頼ろうにも、介護士は全員手を引いてしまったからです」と、オーナーに話しました。しかし、介護士が全員口をそろえて言ったのは、「『看護師さんが独りで看る』と言ったからです。私たちは何もさせてもらえませんでした。」という言葉でした。私は、独りで朝7時から夜23時まで施設でほとんどの時間を過ごしました。

夕方、食事をしに一旦家に帰っても、夜中にまた巡視をしに戻る。出かけた時には電話で対応し、その帰りに施設に顔を出して様子を見る、そんなことをずっと続けていました。その結果が、この言葉です。つらかったです。今まで何のために頑張ってきたのだろう、何をやってきたのだろうと思いました。積み上げてきたものは、全くの無駄だったんだと思ってとても悲しくなりました。介護士と看護師には分かり合えない壁があると昔から聞きます。 

しかし、こんな形になってしまうとは思ってもみませんでした。私が看護師を続けて、最大につらい出来事でした。

まとめ

白衣の天使になりたくて、患者さんのために何かをしたくて看護師になったはずなのに、全く違うところでつらい思いをする。ちょっと理不尽ですよね。でも、働いていくといろんな山や谷があると思います。どんな困難にも立ち向かっていけるだけの強さは、白衣の天使に必要でしょうか。看護師とはいえ、一人の人間です。弱いところもたくさんあります。強くなる必要なんてないと思うのです。もっと緩く、もっと自分らしく白衣の天使として働ける職場で羽ばたける、そんな職場と出会えることをお祈りいたします。

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